自然は科学による観察の対象だとすれば、それに人格を見るのは科学的ではない。これはよく指摘されるポイントです。人格化は、物事を理解するための道具でしかないのだけれど。どうしてもそれを受け入れられないのであれば、システムがどこに向かっていこうとしているのかを理解する必要がある。客観的に扱える種類のもので、それを表すならば「平衡(Equiliblium)」とか、エントロピーの減少(増大に抗う)とか、そういうものだろう。抽象的なものにラベルを貼っているという意味で、そう変わりはないわけだが、この方がよいなら、そういう理解の仕方もあるだろう。
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